2015.04.06
1989年初春、日本の年号が「平成」に変わります。
私は、今上天皇(明仁さん)について、よく知りませんでしたが、
即位のお言葉を聞いて安心しました。地味ながら誠実そうで、
この人なら昭和帝の後を継いで、無事にこなされるだろう、と思いました。
美智子さまについては、私はミッチーブームも知らない世代ですが、
理知的な美人で、ちょっとファッションが特異だったり、癖のある人かなとは思いましたが、
お二人とも仲良く、心をこめて公務を果たされていて、好印象でした。
つまり、私は平成の両陛下に、さほど興味はないものの、
「あー立派な方々だなぁ、大変そうだけど、お勤めありがたい」と、
遠くぼんやり敬意を持っていたわけです。
◇
特に、昭和帝の遺志を継いで、沖縄の方々の苦しみに寄り添おうとする姿勢には、頭が下がりました。
御二人が緊張感のある面持ちで、石碑に花を手向け、静かに祈る姿は、偽りのない本当の姿で、凛々しく、
それは沖縄の方々だけでなく、多くの人々の心に染み入っていったでしょう。
他にまた、弱者や障がい者への支援や理解もありました。
それは皇室の伝統のようですが、両陛下は皇太子時代から人権意識が高かったのか、
他の皇族方に先立つように積極的に行っていた印象です。
今調べてみると、パラリンピックを始め、それらの施設や大会へよく訪問され、人々を勇気付けられています。
そこに一般市民団体の方々の活動も重なり、
昭和から平成に入って、障がい者への差別意識は大きく減少し、その環境は改善されていきました。
私はそういう点で、両陛下を尊敬しますし、時に涙が出てくることさえあります。
◇
ただ、100%信用するとか、神格化する気持ちもありません。
両陛下に関して、私に多少あった疑念は、子供のいる「親」としてどうなのか、ということでした。
若い浩宮を英国に留学させたり、国際社会を見据えた判断は素晴らしかったと思います。
反面、どうもこの夫婦は自己防衛的というか、計算はするが、その場しのぎ的なところがあり、
何より自分たちへの批判を強く嫌がり、それを避けるために、
後に大きな負の遺産を残すような選択をしてしまう人たちにも見えました。
これは今だから言うのではありません。そういう庶民の目、直感があったのです。
実際、'90年代には、テレビのワイドショーでも両陛下への不信や批判がありました。
国民に近づきすぎることや、先代の残した土地への扱い、
何より次男坊である秋篠宮が起こした諸問題への対応の甘さは、
親としての教育はどうなっているのか、何だか情けない、と思ったものでした。
とはいえ、皇室という御簾の奥のことは知る由もなく、実情は分かりませんが。
◇
やがて'90年代末になって、皇太子妃が未だ子供を授かれないことが、たびたび報じられました。
なら次の皇太子は誰になるんだろう、いやもう天皇制は廃止したらどうかとか、今こそ女帝でいいのではとか、色んな議論も沸いてきます。
実際、皇室では、美智子様が産んだ清子さま以降、宮家も含めて女子ばかりでした。
今の皇太子の世代の子は、8人連続で女子です。三笠宮に二人、高円宮に三人、秋篠宮に二人(眞子さま、佳子さま)。
そして2001年、皇太子夫妻に待望の子、敬宮(としのみや)愛子様がご誕生。
それを見た分別のある庶民は、「あー殿下の方に似ちゃったね」なんて言って微笑んで、
「あーそうか、もう皇太子世代の皇族男子には男の種はないんだな」と薄々納得しました。
そして、「天皇制を続けるなら、女帝にして、一般男子の血を入れて、母系で子孫へ伝えていくしかない」ことを悟ったのです。
「愛子女帝」──、新世紀の到来にふさわしい、輝く未来を感じさせる響きでした。
◇
政治も動き出します。皇位継承を男系男子に限定した「皇室典範」を改正する必要があったからです。
2005年春、小泉首相が、女統公認に向けた有識者会議を開きます。
当然その背景には宮内庁の了解がありました。
将来の皇統断絶の危機に向け、宮内庁の職員の方々は、眞子様につづき佳子様の生まれた10年近く前から、
内密にその準備を進めていました。
その中で出た旧皇族復帰案は、国民に「時代錯誤」だと全く不評で、消えました。
実際、彼らは男系で見ると赤の他人に過ぎず、既に長く世俗で生きる一般人でした。
やはり、今の若い女性皇族方が婿を迎えて、皇統を継いでいくほかありません。
同年秋、最終報告書がまとめられ、多くの国民も自然と女統への移行を受け入れます。
翌年2月、国会に典範改正案が上程されることになりました。
これに反対する議員は、自民党から共産党まで、殆どいません。
あとは採決を待つだけです。
その時、あのことが起きたのです。
2015.04.06
著者:知凡
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