おぼろな…

 @ 皇室とわたし

 A あの時、何が
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 ├ 平成皇室年表
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 └ ひとつの推察

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 └ あべこべの世

 C 素朴な疑心
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 ├ 託したいもの
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 └ 囚われ人たち

 D 皇統と未来
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 └ みなに笑顔を

 

ひとつの推察

2015.04.09

 あの時、何が起こったか。それはNHKのテレビ速報でした。 突然の一報に、国会内は騒然とします。 小泉首相は「秋篠宮が?」と驚き、絶句したそうです。

 そのニュースを知った世の女性の多くは、産まれてくる子が男児だと直感したと言います。 皇統の男系保持を訴える櫻井よしこ氏は、「なんと鮮やかな切返し」「日本文明からの逆襲だ」として、この出来事を賛美しました。 典範改正の主管大臣・安倍晋三氏は、「産まれてくる子の皇位継承権を奪うのか」と言い、 改正への審議を凍結します。

 不思議なことです。まだ性別は発表されいないのに。 …いや、少し前にそれは、皇室の中からアピールされていました。

 その一月前、歌会始にて、秋篠宮夫妻によって「コウノトリ」の歌が詠まれています。 今見れば、「もうすぐ男児が生まれますよ」と発信しつつ笑みを浮かべる、この夫婦の性質がよく現れた歌ですが、 ある報道によれば、これを提案したのは美智子皇后だそうです。

 この時期の出来事を年表から一部抜粋してみます。


時期 出来事 (引用:「皇太子と雅子妃の運命(文芸春秋)」 p.243〜251)
平成15(2003)年
12月 湯浅利夫宮内庁長官「秋篠宮家に第三子をのぞみたい」と発言
平成16(2004)年
12月 「皇室典範に関する有識者会議」、小泉純一郎首相の私的諮問機関として発足
平成17(2005)年
11月 「皇室典範有識者会議」が報告書を提出。
女性天皇・女系天皇を容認し、皇位継承順位は第一子優先。女性宮家の創設を認めるという内容
平成18(2006)年
1月 歌会始。
秋篠宮「人々が笑みを湛えて見送りしこふのとり今空に羽ばたく」
紀子妃「飛びたちて大空にまふこふのとり仰ぎてをれば笑み栄えくる」
2月 NHKが紀子妃懐妊速報。国会で小泉首相驚く
9月 秋篠宮家に悠仁親王誕生。皇位継承順位第3位、41年ぶりの男性皇族となる。 秋篠宮が「東宮さまに遠慮してきたがお許しがあったので……」と朝日新聞の岩井氏が報じる


 2月7日の時点で、「妊娠6週」と発表されましたから、 逆算すると、受胎は前年12月下旬となります。歌会始まで半月ほど。 この時点ですでに、妊娠に加え、子の性別(男児)も分かっていたことになります。それも、報道が確かなら、美智子皇后も。

 思えば、元々「コウノトリ」は皇太子殿下が用いた言葉でした。 子宝に恵まれないことを優しくメルヘンに喩えて、のんびり暖かく見守ってくださいと。 彼らはそれを借用し、己の高笑いに変えているわけです。

 「男児を作ります。両陛下の承諾も得ています。私たちに栄光を。」、そういう歌です。

 受胎した時期の直前に何があったか。

 その前月の2005年11月、典範改正に向けた最終報告書がまとめられています。 宮内庁が10年かけて編んだ資料を基に、会議はその年の春から秋まで、毎月さまざまな識者を呼んで開かれました。

 男系を守りたいという識者からは様々な案が出ました。しかしどれも根本的な解決策になりません。 皇室の伝統、国民の意識、明治の典範草案や成立に至る経緯まで丹念に調べ、 そして結局、女性・女系天皇を公認し、父母双系、男女問わず直系長子継承という、 最も皇統が安定する方法が採用されたのです。

 これはよく考え抜かれた方法で、 同じく男系男子主義だった西洋の王室の多くも、20世紀後半からこれに改正されています。そして女王も続々誕生しています。


◇ 「ヨーロッパ王室の王位継承制度」 〜男系・男子限定・優先からの改訂〜
国名 / 国王・皇太子改訂時期現在の継承原則・優先規定
デンマーク
マルグレーデ2世女王
 →男性皇太子?
1953年(男女問わず)
直系・第一子優先
同一親等内なら男子優先
スウェーデン
カール16世グスタフ
 →王女皇太子
1974年(男女問わず)
直系・第一子優先
スペイン
ファン・カルロス1世
 →男性皇太子?
1978年(男女問わず)
直系・第一子優先
同一親等内なら男子優先
オランダ
ベアトリックス女王
 →王女皇太子
1983年(男女問わず)
直系・第一子優先
ベルギー
アルベール2世
 →フィリップ皇太子

  →エリザベート王女
1988年(男女問わず)
直系・第一子優先
ノルウェー
ハラルド5世
 →王女皇太子
1990年(男女問わず)
直系・第一子優先
イギリス
エリザベス2世女王
 →チャールズ皇太子
2013年(男女問わず)
直系・第一子優先

◇ 「日本の皇室典範改正後の皇位継承法」 (※成立直前で頓挫)
国名 / 天皇・皇太子改訂予定典範改正後の継承法・規定
日本
今上天皇(明仁)
 →皇太子(徳仁)
  →敬宮愛子内親王
2006年
※頓挫
(男女問わず)
直系・第一子優先



 そして日本も2006年、自然とそうなる流れでした。 すると直系第一子の愛子様が次の皇太子になるのです。 それまで第二位だった傍系の秋篠宮殿下は皇統から外れ、いずれ来る愛子女帝やその子を影で支える宮家となります。

 マスコミ各社の世論調査では、国民の約80%が、この女性・女系天皇を公認することに賛成でした。 理解の下地は十分整っています。 あとはこの改正案を、翌春の国会審議に上げ、賛成多数の採決を待つのみです。

 そんな状況の中、男児作りは水面下で行われていました。

 振り返れば、その3年ほど前。2002年頃から、将来の皇統について、両陛下、皇太子、秋篠宮が揃って家族会議が開かれています。 やがて宮内庁長官が、「秋篠宮に第三子を望みたい」と公言します。

 秋篠宮家には既に二人女子がいますから、「望まれる第三子」とは「男子」のことです。 このチャンスを逃したら、もう秋篠宮家は日の目をみないでしょう。

 「自然妊娠を装って、男児を作る方法はある。全て医師に任せればよい。」。そう誰かが囁いたのか分かりませんが、 皇太子夫妻は様々な理由からこれを断り、陛下の聖断にゆだねます。 秋篠宮は「陛下をご心痛から救いたい」という名目のもと、内々に承諾を得たのでしょう。

 もちろんこれは、想像の域を出ません。菊のカーテンの向こうのことですから。

 紀子妃に男児を産む方法を聞かれた、という医師の発言が記事になりました。 この時期、秋篠宮邸に医療装置が運びこまれた、という記事もありました。 それらの記事はその後消されています。 そうした最新の産み分け技術は、倫理に反するとして、日本では禁止されているからでしょう。

 そして、あの日。「秋篠宮紀子妃ご懐妊、第6週目」の情報は、周到なタイミングでNHKに漏らされます。 それを聞いた小泉首相や安倍晋三氏が、これを「皇室のご意思」と捉え、典範改正を取り止めたのも無理はないと思います。

 それは、平成の両陛下と秋篠宮夫妻が、露骨に政治に関与した瞬間でした。

 先に書いた通り、これを櫻井よしこ氏は、「なんと鮮やかな切返しか」と、皇室からの華麗な反撃だと捉えました。 憲法を破り、倫理に反した行動を、「よくやった、これで男系が守られた」と喜んでいるわけです。

 実際これで皇統問題が解決するなら、それもいいでしょう。 しかしその浅慮とは裏腹に、実はこれ、将来の危機にとって何の解決にもなっていません。 その場しのぎで先延ばしにされるだけで、後々、状況はより窮地に追い込まれます。

 なぜか。今後、皇族の数はより先細っていきます。 若い女性皇族が次々結婚、皇室から離れ、さらに高齢の皇族方が一人また一人と薨去する。 すると、そう遠くない将来、どうなるか。礼宮以来41年間、男子は他に生まれていませんから、 いつしか、この子(とその家族)だけがポツンと残されることになる。異常な重圧と孤独です。

 この予測を、秋篠宮はともかく、70歳を過ぎた陛下も分かっていなかったとしたら悲劇です。 60代の頃の陛下は、「皇統は男女問わない」という進歩的なお考えのようでした。 そのままで良かったはずです。それがどうして土壇場で変わったのか。

 宮内庁や神社や、ある一派からの圧力か、秋篠宮夫妻の手柄取りか。それとも別の理由でしょうか。 分かりませんが、「なぜ、よりにもよって、この時期に、あんなことを」という強い不信感は拭えません。

 これは本当に徳を積んだ賢帝のする判断でしょうか。不敬ながらお聞きしたいです。

 ただ最後に、正直言うと、私も当初あまり考えず、これで男子が生まれて男系が続くなら良いかな、と思っていました。 雅子様に出来なかったので、紀子さまが頑張って下さったんだ、と肯定的に捉え、 久しぶりのプリンス、王子様かも、と浮かれていました。

 しかしやがて、「男子だったら何か作為的で嫌だな」「女子だったら自然妊娠だと思えるし、安心できる」と気持ちが変わりました。 女子であれば、私は紀子様の努力に敬意をもって、皇室への信頼も高まっていたでしょう。

 その年、9月に生まれた子は男子でした。 明仁天皇は、「立派な新生児」と讃え、「じっと私を見つめている顔が浮かぶ。」と仰いました。 美智子皇后は宮妃に、「気丈ね」と語りかけたそうです。

 私はおぼろな違和感を抱きながら、考えるのをやめ、遠く皇室を眺めていました。



2015.04.09
著者:知凡

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