おぼろな…

 @ 皇室とわたし

 A あの時、何が
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 ├ 平成皇室年表
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 └ ひとつの推察

 B 聖性のありか
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 └ あべこべの世

 C 素朴な疑心
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 ├ 託したいもの
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 └ 囚われ人たち

 D 皇統と未来
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 └ みなに笑顔を

 

あべこべの世

2015.04.16

 私は、皇太子殿下がバイオリンを弾く姿が好きです。 いつ頃からでしょう、昔は無骨に見えて、そうでもなかったのですが。 恐らく殿下には、特別な音楽の才能はないのかもしれません。 しかし実直に、努力を続けた人にしか出せない姿勢や音がある。 そこに今、尊さを感じている人は多いと思います。

 「水の研究」だって、かつて20年前は、地味すぎて、価値は全く分かりませんでした。 それが今や、日本でも世界でも、人類全体で真剣に考える問題になっています。 気が付けば、とても大局的なスケールの研究を続けられていた。

 日本の皇太子の、そうした崇高な人となりは、海外ではよく知られているらしいのです。 私は、そういうものこそ、もっと日本の方々に知ってほしい。 また本来それを伝えるのが、皇室報道の役割ではなかったでしょうか。

 何かが、おかしくなったのは、いつ頃からでしょう。

 '90年代後半、雅子さまの表情が固く沈んでいきました。 その中で、日々公務に励み、懸命に笑顔を作られていました。 元々、自然で華やかな笑顔をされる方でしたから、庶民の目にも、何か無理が起こっていると分かりました。

 宮内庁は何をやっているのか。天皇や皇后はなぜ援助をしないのか。

 皇太子夫妻は、誕生日の会見などで、率直に、しかし誰も傷付けないよう、 そして改善を促すよう、丁寧に発言をされました。 しかし、それに対する宮内庁長官らの回答は、あまりに冷たく、酷いものでした。

 やがて皇太子が緊張感のある面持ちで、いわゆる「人格否定発言」の会見をされます。 誰の目にも不思議だったのは、それから半年の流れでした。

 年表からその辺りを抜粋してみます。


時期 出来事 (引用:「皇太子と雅子妃の運命(文芸春秋)」 p.243〜251)
平成16(2004)年
5月 皇太子、訪欧前の会見で「雅子のキャリアとそれに基づく人格を否定する動きがあったのも事実です」(天皇「国民に説明を」と求められる)
6月 皇太子、説明文書を発表「具体的内容について、対象を特定して公表することが有益と思わない。外国訪問やお世継ぎ問題に注目されているが、伝統やしきたり、プレスへの対応等々、皇室の環境に適応しようとしてきた過程でも、大変な努力が必要」
宮内庁会見。天皇「報道の多くが家族の中の問題にかかわる憶測であるならば、いちいち釈明することが国のためになるとは思われない」とのおことば
7月 雅子妃に「適応障害」という医師団の診断が発表される(ストレス要因:林田東宮大夫の会見記事確認)
10月 皇后、古希を迎えて誕生日文書「家を離れる日の朝、父は『陛下と東宮様のみ心にそって生きるように』と言い、母は黙って抱きしめてくれました」「(雅子妃について)家族の中に苦しんでいる人があることは、家族全員の悲しみ」「宮内庁にも常に努力が求められますが、昨今のように、ただひたすらに誹られるべきところでは決してない」
11月 秋篠宮誕生日会見「(皇太子の人格否定発言は)陛下に相談しての発言であるべきだった」「東宮御所での生活にともなう困難は、聞いてみたがよくわからない」「公務は受身のもの」「(長官第三子発言は)皇室の繁栄と、秋篠宮一家の繁栄を考えたもの」
12月 天皇誕生日文書「皇太子の記者会見の発言を契機として事実に基づかない言論も行われ、心の沈む日も多くありました」


 当初マスコミは「人格否定」の犯人探しをしました。やがて「家族の中の問題」だと分かり、 当初の黒幕である宮内庁官僚から、むしろ父である明仁天皇その人ではないか、という推理が出てきます。

 約半年後、家族が続けて会見。 皆なぜか、彼女が病に倒れた理由は分からないと言い、 皇后は宮内庁をかばい、秋篠宮は天皇を"無関係の第三者"として扱い、最後に天皇が「事実でない言論に心が沈んだ」と語ります。

 今見ても見事な連携プレーです。これによって犯人も真相も消えてしまいました。

 もう一つ、こんなこともありました。平成の皇后バッシングとその収束への経緯です。

 それは「大内糾」なる人物の内部告発に始まりました。 宮中で美智子皇后が女帝のごとく振る舞い、天皇も従っている、という内容です。 そこには宮内庁の職員にしか知りえない、具体的な事柄も多く含まれていました。

 週刊誌で大々的な皇后バッシングが始まります。 ある日、美智子さまは会見で弁明し、誕生日に倒れて、声を失います。 やがて同情の声が高まり、週刊誌が謝罪、ほとぼりが冷めた頃、 「ピュリファイ(浄化)されました」という修道女の言葉とともに、 再び公務の場にお戻りになりました。 メルヘンのお姫様のように。

 この時の弁明で、皇后は自分の行いの非を一部認めています。 そして「自省の"よすが"とする」という表現で、謙虚さを見せつつ、 一気に一般論に広げ、マスコミの責任にすり替えます。 高度に計算された内容です。

 多くのマスコミは以後沈黙。それでも批判を続けた雑誌には、事務所に銃弾が立て続けに撃ち込まれ、 以降、皇后への批判はタブーとなり、賛美ばかりになるのです。

 また別に、ある象徴的な出来事がありました。それは雅子さまオランダ静養前のこと。


時期 出来事 (引用:「皇太子と雅子妃の運命(文芸春秋)」 p.243〜251)
平成19(2007)年
5月 天皇、欧州訪問前会見「私どもが私的に外国を訪問したことは一度もありません」
12月 天皇誕生日会見「(5月の会見について)皇太子一家のオランダ静養に苦言を呈したのではありません」「私の意図と全く違ったような解釈が行われる懸念があり、これ以上の答えは控えたく思います」


 その直前、両陛下が突然、記者会見を開きます。 そして「私は自身を厳しく律してきた」なる言葉に始まる文章を読み上げます。 ゆっくり丁寧に、しかし雅子妃を行かせるのが心底嫌そうな、仕方なく送り出します、という心理が伺える内容でした。

 これには、マスコミからも「雅子妃の心を冷たく刺すようだ」と違和感の声があがりました。 指摘された陛下は、「誤解された」とスネてしまいます。 しかし、そもそも妃の病気の性質を理解していれば、あんな言動は出来ません。 陛下からは、己の不徳を自戒する言葉もなく、マスコミに責任転嫁していました。

 結果、マスコミも回答拒否は困りますから、以後、天皇批判もしづらくなるわけです。

 …こう書きながら、私は今も、両陛下が、以前のイメージどおり、 優しく、慈しみのある方なら、本当に嬉しいです。むしろそう信じたい。 80代の老いた身を粉にして、激務を果たされていることを知ると、なおさら敬意が抑えられません。

 しかし、幾つもの例からは、両陛下の何かが滲み出ていて、悲しくもなります。 批判は許さず、事実でも誤魔化す。狭量で、計算高く、腹黒い面がある。 そして、「公務を多忙に頑張る私たちは正しい」「比べて東宮は…」という思考パターン。

 時代に合わせて両陛下が変革したように、次代は皇太子に任せれば良いでしょう。

 実際、長男である皇太子殿下は、公務や代拝などを、とても立派に務められています。 病気の雅子さまも、少しずつ回復される中で、出来る範囲で努力されている。 さらに夫婦で敬宮様の教育もされています。

 そもそも、「公務」なるものを激増させたのは、平成の両陛下でした。 これほど天皇と皇后が「公務」と称して出歩くようなことは、皇室の歴史にはないそうです。 しかもその実情は、役人の作った仕事の権威付けだったり、ただの私的な鑑賞だったり、本当に必要なのか疑問なものも多い。 それで周囲が気遣って、公務の減少を上奏しても、陛下自身が頑なに断る始末です。

 これを、東宮が次代に改革して減らそうとするのは当然でしょう。 すると、役人は"利用"できなくなりますから、それを貶めようとする意図が出てきます。

 2005年以降、その意向や構図に乗るように、 宮内庁長官や陛下の周辺から、東宮家を貶めるような情報リークが続けられていきます。 そこに古い知識人、自称皇室ジャーナリスト、変な医師なども加わり、それはもう枚挙に暇がありません。

 最近あったリークは、「先方への返事が遅い。陛下はご心配だ。」(2013年春の東宮妃渡欧前)、 「両陛下は風邪を引いた。なのに東宮は静養。」(2015年春のパラオ行き前)。 どちらも公にする必要はないのに、わざわざして、大衆を東宮批判に導いています。 しかも前者は、その御上こそが渡欧を制限していたとすると、さらに悪質です。

 近年の論文では、「秋篠宮が天皇になる日(保坂正康氏)」や、「皇太子殿下、ご退位なさいませ(山折哲雄氏)」など。 どちらも無理な結論から作り上げた、奇妙でナンセンスなものでした。 また、ネットの真実(デマ)などは、話にならないものが多いです。

 何にせよ、東宮家はもうずっと、マスコミから不当なバッシングを浴び続けています。 それによって誰が得をするのか。役人か、両陛下か。出し抜ける秋篠宮家か、それを持ち上げたい人たちか。 私の想像力では、よく分かりません。

 ともかく、やはり、何かがおかしくなったのは、あの頃からでしょう。

 私は特に、皇太子殿下や雅子さまを信用しているわけでもありません。 きっと至らない点もあるでしょう。 でも様々なエピソードを聞くと、良い生き方をされていると思いますし、歌もストレートで好きです。 お姿にもオーラや品格を感じます。

 お二人に唯一、問題があったとするなら、 なかなか子供を授かれなかったこと、また男児に恵まれなかったこと、に尽きるのではないでしょうか。 雅子さまが三人姉妹の長女で女腹だとか、皇太子の幼少期のおたふく風邪の影響とか、 色々理由も聞きますが、こればかりは努力ではどうにもなりません。

 ただ、もし皇太子殿下が、この事に甘い見通しをされていたのなら、少しの批判は受け止めてほしい、とは思います。 たとえば当時、雅子様が「殿下から、子供たちとオーケストラが組めるぐらいいたら良いね、と仰られましたけれども、 殿下、それはちょっと多すぎませんか、と…。」とマスコミの記者たちも一緒に微笑むような話をされました。

 それを聞いて、いち国民の私は、ああ、3人か4人ぐらい産んで、そのうち1人か2人は親王で、 これで皇統安泰だ、なんて期待を一時してしまったわけです。 結局は、長く苦しい不妊治療をされながら、雅子様はようやく第一子、敬宮様を授かることなります。

 年が明け、会見をする殿下と雅子様のお姿を見て、言葉を聞き、私は心から安堵しました。 もう無理はされなくていい、愛子様だけでも、本当にありがたい、と、命の尊さも実感しました。 そして雅子さまの本当に優しい心根も。

 昨年、静養に向かう雅子様に向かって、駅で罵声を浴びせた男性がいたそうです。

 「遊んでないで働け、バカ野郎!」。全く見当違いの放言ですが、彼こそは「蒙昧な大衆」の体現者でした。 きっとその自覚もなく、むしろ「悪を討つ正義漢」のつもりでしょう。 メディアの情報を鵜呑みにし、立派に義憤を煽られ、怒りの声をあげたのです。

 いや、そう見えて実は彼は、不甲斐ない自分自身に声を荒げたのかもしれません。

 そうした大衆の醜悪さも、全て受け入れて、その安寧まで祈るなんてことが出来たら、それこそ菩薩様のようです。 そして私はきっと、あの投げかけられた罵声が、雅子さまのおごりや濁りを取り除き、 より自戒と聖性への希求を促すと信じたい。

 仏様が、その仏性が、「泥の中で蓮の花を咲かせる」という美しい言葉があります。

 平成の両陛下が間違いを犯し、大きな負の遺産を残し、 それゆえ東宮家が、泥を投げられ、罵詈を浴びせられながら、じっと耐えて、正しい道を進もうとしているなら…。

 そこに皇室の救いが、どうかありますように。



2015.04.16
著者:知凡

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