2015.04.26
1945年8月15日。敗戦を11歳で迎えた明仁皇太子は、「新日本の建設」と題した作文を書きました。
彼はそこで、敗戦の原因を探り、さらに今後の日本人の心構えと、未来への意欲を綴っています。
その最後は、「次の世を背負って新日本建設に進まなければなりません。それも皆私の双肩にかゝつてゐるのです。」。
そして、「明治天皇のやうに皆から仰がれるやうになつて、日本を導いて行かなければならないと思ひます。」で締めくくられています。
その一ヶ月後、父、昭和天皇から手紙が届きます。
父はまず、息子に事情を話すのが遅れたことを謝り、日本の敗因を分析した上で、終戦の詔を決意した本心を伝えます。
「戦争をつづければ、三種神器を守ることも出来ず、国民をも殺さなければならなくなったので、涙をのんで、国民の種をのこすべくつとめたのである。」
それから約半世紀、昭和から平成へ代変わりします。
今上陛下はそこで、「皇位を継承するに当たり、大行天皇の御遺徳に深く思いを致し、
いかなる時も国民とともにあることを念願された御心を心としつつ、皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たす」と誓われました。
◇
その後しばらく、今上陛下また美智子皇后の言動には、一つ一つに緊張感があります。
新しい時代の天皇として、重責を果たすことへの、静かで確かな意欲がありました。
当時の御二人は、まさに無私と清浄に近い存在に見えました。
両陛下は行動をともにし、優しく微笑み、また慰め、国民に溶け込んでいきました。
私は、この平成初期の頃の両陛下の言動を見ると、ああ御二人で良かったと、今も深い敬意とありがたさを感じます。
慈愛があり、平和と公平を願う両陛下のご努力があったからこそ、天皇制は今も国民の多くから支持を得ているのでしょう。
◇
しかしその後、様々な問題が起こる中で、両陛下は、情けない人間の姿も垣間見せたようにも思います。
自分を守ろうとするがゆえ、知らぬふりや責任転嫁をしました。
また我欲を先んじてか、外遊も皇太子夫妻に譲りませんでした。
内部では、えこひいきや虐めもあったようで、悲しくなります。
例えば最近、11年前のメキシコ大統領の来日の折の晩餐会で、陛下が雅子妃の紹介だけをわざと飛ばした、という話が暴露されました。
すると当人は否定できず、なぜか秋篠宮に「私の遠い記憶が正しければ、そのようなことはなかった」と言わせるという荒業を使いました。
さらに宮内庁を使って圧力をかけ、揉み消そうとしたのです。
今、平成27年です。お二人の人相は当初と随分変わったように見えます。
老けただけではない、化けの皮を剥がせば、清廉な人の顔ではなくなりました。
◇
昭和天皇が最晩年、病に伏した時、
長男である明仁さんは、医師から治療方針について聞かれ、こう返答されたそうですね。
「侍医の皆さん方には、一番いいというお考えがあるでしょうから、それをおやりになってください」。
当時はそれで良かったのです。しかしまさか、あの時もそう仰ったのでしょうか。その結果も想像せず。
貴方は、立派な男児と喜びました。数年後に何かに気付いたか、また「ご心痛」だそうです。
あなたの判断が招いたことでしょう。
ある日、貴方は、湖畔で、秋篠宮妃と男児とともに、三人で小船に乗りました。オールを漕いだのは貴方でした。
船の上で何があったか、何が語られたか分かりませんが、岸辺に帰ってきた貴方は心臓を抑え、そのまま倒れました。
これは大事件のはずですが、報道は極少なく抑えられました。
あの時、何があったのでしょう。また、それらの責任は誰にあるのでしょう。
陛下、あなたは一国民のこの問いに、正直に答えられるでしょうか。
◇
もう一度、10年前を思い出してください。
あの時、国民の大多数が典範改正を支持しました。
それは決して拙速な判断ではありません。その10年前から準備は進められていたんですから。
それを貴方は、宮妃を使い、結果、頓挫させたのです。
そして皇統を案じた多くの国民を裏切りました。
「いかなる時も国民とともにある」「みなさんとともに日本国憲法を守り」と言った貴方の言行の正当性を、
誰がどう保証できるでしょう。
天にも民にも背くような行為をして、その反省もない。
それが昭和帝の御心だったのでしょうか。父は生物学者であり、側室も拒みました。つまり将来の女統を容認していたはずです。
なのに貴方は、真逆のことをし、混乱を招きました。
そういう不徳の人が、今も日本の象徴として、皇位にいることが、私は解せない。
◇
いや、もしかしたら、天皇や皇太子は人格者でなければならない、またそうあってほしいと願うのは、
私の勝手な囚われかもしれません。
実際、過去の天皇を見ると、そうでない人も多くいます。人殺しもいた、奇矯な人もいた、子供や赤ん坊までいました。
周囲を騙したり、陰謀を企てたり、逆に遊んでばかりの人もいました。大抵は、政治家にその威光を利用された、道具のようでした。
そう思えば、今上陛下のああした行為なんて、大したことがない気がしてきます。
そうして、「天皇なんてそんなもんだ」と諦めて、あの事やネガティブな面には全て目をつぶって、
素晴らしい点だけ見て崇敬しておけば、どんなに楽でしょう。
そう、両陛下も宮内庁も考えているのかもしれません。目をつぶって盲従をと。
◇
やはり天皇は、宮内庁の「操り人形」として、神話からの「権威の血統」を守ればいいのでしょうか。
表向き「公平無私の陛下」を演じて、ひたすら公務や祭祀に励んで。
さらに男系の信奉者たちの慰み者として、お世継ぎを作る、それこそが本分だと。
そういう意味では、陛下も秋篠宮妃も、都合よく使われる道具となって、
倫理に反すると知りながら、立派に務めを果たした、と言えなくもありません。
でも、やはり私は、ワガママを言えば、天皇や皇太子には、気高い君子であってほしい。尊い人格の持ち主でいてほしい。
信頼できる聖徳を持っていてほしい。なぜならそれは、国民統合の象徴だから。
この日本の文化や道徳の、理想の体現者として、良き手本として、そこに居てほしい。
それを一庶民の甘えとして、「天皇」という一人の人間に託させて頂きたいのです。
2015.04.26
著者:知凡
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