2015.04.29
日本人で、皇室に生まれた一人が、
その象徴、「天皇」という役割を押し付けられ、一生をかけて、それを体現しなければいけない。
こんな残酷な立場があるか。
皇太子やその子は、幼少期から"未来の天皇"となるべく高水準の教育を受け、国際的な教養を身につけていく。
望もうと望むまいと、その目的のもと努力をして、
葛藤と闘い、人格を磨き、育てあげていく。
◇
私なら「もうヤダ」と言って、投げ出すでしょう。でもそれも出来ない。
現代の皇室に生まれたら最後、男子なら一生抜け出せません。囚われの身のように。
特に天皇や皇太子となると、プライバシーも殆どないはずです。
常に周囲にSPが付き、言論や様々な権利も奪われ、手かせ足かせをかけられる。
日夜、国事行為や宮中祭祀を務め、各国の要人と会って親善を深める。生活は勤勉で禁欲的です。
思えば日本人は、さほど自覚もせず、その重すぎる役割を彼らに押し付けている。
それは別の喩えをするなら、日本人によって捧げられた「生け贄」のようです。
有事や危機に際して、民衆を一つにまとめるための世襲の君主として、また日本文化の永続の象徴として、生きる美徳の手本として。
彼らは皇居に囚われつつ、重い「日本」を背負わされる。
その上、私のような庶民から、こうあるべきだ、と文句を言われたり、
時に「税金泥棒」と罵られたりもする。
◇
もし陛下や皇太子が、「もう天皇なんてやめた。アホらしい。普通の国民がいい。」と言って投げ出したって、誰も文句は言えないはずです。
それを彼らは凄まじい忍耐力で引き受けてくださっている。本来、それだけで本当にありがたいことです。
特に、たった一人で巨大な重圧を負う天皇は、よほど超人的でなければ勤まらないでしょう。
普通ならどこかで心のバランスが崩れます。
さらに歳を取れば呆けてくる。意固地になったり偏狭にもなります。
それでも表向き「聖徳の人」を演じさせられます。
すると心に歪みが生じて、裏で誰かへの陰湿な虐めとして表れたりする。悲しいですが現実です。
平成の両陛下は、民主的な天皇として、「大衆からの支持」を大きな拠り所と考えているように見えます。
皇后は女性週刊誌に目を光らせ、そこに意向が反映されると言われます。
賞賛を常に求め、出歩きや衣装で自己愛を満たし、ストレスを発散しながら、
責任は東宮家に押し付け、心の安定を保っている面があるわけです。
しかしこれを叩けるでしょうか。天皇制という残酷なシステムを課しておいて。
◇
平成の半ばの、あの事件から10年近く経ちました。日本人は、何度か政治にも期待し、裏切られました。
国民の多くは、もう無思考、諦め、ニヒリズムに陥っています。
御上に何を言っても無駄だと。
逆に弱者を探して叩く風潮があります。
私の目には、こうした大衆の姿は、平成皇室の映し鏡のようにも見えます。
そして私は、この歪な「平成」という世が再び良くなるなら、それは陛下の正直なお言葉からだと考えます。
「結局それは、私の至らなさと不徳が招いた事態でした」と素直に認め、
今後の皇統の方策について、冷静に大局を見据えて御聖断を述べられる。
要点は言わずとも、「私は全てを正直に話すことができません。」と仰って下さっても良い。
庶民はそれで大体の察しはつきますから。
◇
自分の失策を隠さず認める。それは天皇の価値を毀損しません。むしろ引き上げます。
例えば今上から30代前、第95代の花園天皇はこう仰いました。
「近日焼亡繁多なり。朕不徳の至りか。よって殊に仁王般若経を読み、天下泰平を祈る」。
花園天皇は、天災や長雨、火事などは、自分の不徳から生じていると素直に反省し、自分の命を懸けて神仏に祈願したのです。
譲位に際しても、
「至らないながらも心を励まし、徳を積み、仁を施したつもりである。そのどれか一つが天意に適って、十年も在位できたのだろう」。
「(心ならずの譲位は)人を恨むのでなく、自分の不運と徳の薄さを嘆くべき」と。
また「かつては帝に諌言する忠臣がいたが、今は不忠の臣がはびこっている」とも嘆いたそうです。
こうして見ると、徳のある帝の、一つの姿が浮かび上がるようです。
そしてそれは、明仁天皇とはある面で対照的とさえ映ります。
◇
平成に入って当初、お二人は公平無私に近いご存在でした。凛とした尊さがありました。
でもどこかで我欲に先んじて、聖性を失われたのでしょう。
忠臣から諌言されても意固地に断り、失言を指摘されても責任転嫁し、
省みようとしませんでした。
「明治天皇のように皆から仰がれるように」──、今も陛下はこのイメージに囚われているのでしょうか。
間違いを認めたくない理由が、あなたの狭量のほか、そこにもあるなら合点もいきます。
でも、それは逆でしょう。
自らの短慮を認めて反省してこそ、きっと人々から「平成天皇は有徳の人だった」と後世に語り継がれます。
陛下、あの時なにがあったのか、率直に国民に話して頂けませんか。
なぜ皇位継承問題が解決されようとした時に、水面下であのようなことをされたのか。
◇
もし両陛下が国民とともにある、と言うなら、私も両陛下のためにお祈りしたいです。
「ご自分の狭量と奢りを捨て、失策を素直に認め、正直に国民の前に謝罪してください。
それは良き手本となって、必ずや次の世の日本人の心を正しくするでしょう」。
…そんな願いは夢と散り、平成の天皇は謝罪せず崩御する、でしょうか。
いくつもの隠蔽を重ねた人に、今さら裏返せないでしょう。
偽りの賞賛に身をゆだね、老いて時代が終わった後、
「誠実で勤勉だった」が「暗愚な面もあった」と評されるのでしょうか。
明仁という人が、本当に天意にふさわしい帝であったのか。一縷の望みは、陛下の心に「嘘をつきたくない」という倫理はある事です。
ですから神仏がもし祭祀の際に降りて下さったなら、どうか御精勤な明仁天皇に、今一度、真心をお与えください。
その真心が平成の世のハイライトを飾り、正しく未来を照らし出しますよう。
2015.04.29
著者:知凡
トップに戻る△
|