おぼろな…

 @ 皇室とわたし

 A あの時、何が
 │
 ├ 平成皇室年表
 │
 └ ひとつの推察

 B 聖性のありか
 │
 └ あべこべの世

 C 素朴な疑心
 │
 ├ 託したいもの
 │
 └ 囚われ人たち

 D 皇統と未来
 │
 └ みなに笑顔を

 

囚われ人たち

2015.04.29

 日本人で、皇室に生まれた一人が、 その象徴、「天皇」という役割を押し付けられ、一生をかけて、それを体現しなければいけない。

 こんな残酷な立場があるか。

 皇太子やその子は、幼少期から"未来の天皇"となるべく高水準の教育を受け、国際的な教養を身につけていく。 望もうと望むまいと、その目的のもと努力をして、 葛藤と闘い、人格を磨き、育てあげていく。

 私なら「もうヤダ」と言って、投げ出すでしょう。でもそれも出来ない。 現代の皇室に生まれたら最後、男子なら一生抜け出せません。囚われの身のように。

 特に天皇や皇太子となると、プライバシーも殆どないはずです。 常に周囲にSPが付き、言論や様々な権利も奪われ、手かせ足かせをかけられる。 日夜、国事行為や宮中祭祀を務め、各国の要人と会って親善を深める。生活は勤勉で禁欲的です。

 思えば日本人は、さほど自覚もせず、その重すぎる役割を彼らに押し付けている。

 それは別の喩えをするなら、日本人によって捧げられた「生け贄」のようです。 有事や危機に際して、民衆を一つにまとめるための世襲の君主として、また日本文化の永続の象徴として、生きる美徳の手本として。

 彼らは皇居に囚われつつ、重い「日本」を背負わされる。 その上、私のような庶民から、こうあるべきだ、と文句を言われたり、 時に「税金泥棒」と罵られたりもする。

 もし陛下や皇太子が、「もう天皇なんてやめた。アホらしい。普通の国民がいい。」と言って投げ出したって、誰も文句は言えないはずです。 それを彼らは凄まじい忍耐力で引き受けてくださっている。本来、それだけで本当にありがたいことです。

 特に、たった一人で巨大な重圧を負う天皇は、よほど超人的でなければ勤まらないでしょう。 普通ならどこかで心のバランスが崩れます。

 さらに歳を取れば呆けてくる。意固地になったり偏狭にもなります。 それでも表向き「聖徳の人」を演じさせられます。 すると心に歪みが生じて、裏で誰かへの陰湿な虐めとして表れたりする。悲しいですが現実です。

 平成の両陛下は、民主的な天皇として、「大衆からの支持」を大きな拠り所と考えているように見えます。 皇后は女性週刊誌に目を光らせ、そこに意向が反映されると言われます。 賞賛を常に求め、出歩きや衣装で自己愛を満たし、ストレスを発散しながら、 責任は東宮家に押し付け、心の安定を保っている面があるわけです。

 しかしこれを叩けるでしょうか。天皇制という残酷なシステムを課しておいて。

 平成の半ばの、あの事件から10年近く経ちました。日本人は、何度か政治にも期待し、裏切られました。 国民の多くは、もう無思考、諦め、ニヒリズムに陥っています。 御上に何を言っても無駄だと。 逆に弱者を探して叩く風潮があります。

 私の目には、こうした大衆の姿は、平成皇室の映し鏡のようにも見えます。

 そして私は、この歪な「平成」という世が再び良くなるなら、それは陛下の正直なお言葉からだと考えます。 「結局それは、私の至らなさと不徳が招いた事態でした」と素直に認め、 今後の皇統の方策について、冷静に大局を見据えて御聖断を述べられる。

 要点は言わずとも、「私は全てを正直に話すことができません。」と仰って下さっても良い。 庶民はそれで大体の察しはつきますから。

 自分の失策を隠さず認める。それは天皇の価値を毀損しません。むしろ引き上げます。 例えば今上から30代前、第95代の花園天皇はこう仰いました。

 「近日焼亡繁多なり。朕不徳の至りか。よって殊に仁王般若経を読み、天下泰平を祈る」。 花園天皇は、天災や長雨、火事などは、自分の不徳から生じていると素直に反省し、自分の命を懸けて神仏に祈願したのです。

 譲位に際しても、 「至らないながらも心を励まし、徳を積み、仁を施したつもりである。そのどれか一つが天意に適って、十年も在位できたのだろう」。 「(心ならずの譲位は)人を恨むのでなく、自分の不運と徳の薄さを嘆くべき」と。 また「かつては帝に諌言する忠臣がいたが、今は不忠の臣がはびこっている」とも嘆いたそうです。

 こうして見ると、徳のある帝の、一つの姿が浮かび上がるようです。 そしてそれは、明仁天皇とはある面で対照的とさえ映ります。

 平成に入って当初、お二人は公平無私に近いご存在でした。凛とした尊さがありました。 でもどこかで我欲に先んじて、聖性を失われたのでしょう。 忠臣から諌言されても意固地に断り、失言を指摘されても責任転嫁し、 省みようとしませんでした。

 「明治天皇のように皆から仰がれるように」──、今も陛下はこのイメージに囚われているのでしょうか。 間違いを認めたくない理由が、あなたの狭量のほか、そこにもあるなら合点もいきます。

 でも、それは逆でしょう。 自らの短慮を認めて反省してこそ、きっと人々から「平成天皇は有徳の人だった」と後世に語り継がれます。

 陛下、あの時なにがあったのか、率直に国民に話して頂けませんか。 なぜ皇位継承問題が解決されようとした時に、水面下であのようなことをされたのか。

 もし両陛下が国民とともにある、と言うなら、私も両陛下のためにお祈りしたいです。

 「ご自分の狭量と奢りを捨て、失策を素直に認め、正直に国民の前に謝罪してください。 それは良き手本となって、必ずや次の世の日本人の心を正しくするでしょう」。

 …そんな願いは夢と散り、平成の天皇は謝罪せず崩御する、でしょうか。 いくつもの隠蔽を重ねた人に、今さら裏返せないでしょう。 偽りの賞賛に身をゆだね、老いて時代が終わった後、 「誠実で勤勉だった」が「暗愚な面もあった」と評されるのでしょうか。

 明仁という人が、本当に天意にふさわしい帝であったのか。一縷の望みは、陛下の心に「嘘をつきたくない」という倫理はある事です。 ですから神仏がもし祭祀の際に降りて下さったなら、どうか御精勤な明仁天皇に、今一度、真心をお与えください。

 その真心が平成の世のハイライトを飾り、正しく未来を照らし出しますよう。



2015.04.29
著者:知凡

トップに戻る△


inserted by FC2 system